
野沢北高校
東京大学・理科一類
東京大学・工学系大学院(博士課程修了)
*野沢北時代には秋葉原で買い集めた部品を使って無線機や八木アンテナ、コンピューターなどを
自作していました(1975年頃の話)。
野沢北から東大へ現役合格!国家公務員一種試験も一回で合格!
元・郵政省技官@霞ヶ関
大学教授 (専門:人工知能・データサイエンス)

野沢北高校
上智大学・外国語学部・英語学科
上智大学・外国語学部・フランス語学科
Northern Arizona University大学院
博士課程前期(応用言語学(TESOL)専攻)
*英検1級 TOEFL(PBT)630点 TOEIC990点(←旧タイプです) 元ロータリー財団国際親善大使
第一級アマチュア無線技士(モールス符号で海外と交信するのが好きです)
上智大学では笠島準一先生(中学校教科書「New Horizon」著作者代表)と
吉田研作先生(文科省中教審外国語専門部会委員)に師事。
元・三井銀行(現:三井住友銀行) 本店外国為替部
元・佐久市教育委員会・教育委員
現・佐久市英語教育推進委員会委員


☆講師の現役時代の模試の成績表☆
☆駿台全国模試7月号☆

☆代ゼミ上智大模試☆

☆駿台私大模試☆




☆駿台慶応大模試☆


☆代ゼミ早稲田模試☆


☆当会講師からのコメント☆
当会講師が高校生時代(昭和50年代)に密かに受けていた駿台模試結果等。
当時は(今もそうだが)模試と言えば駿台が信頼度ダントツ。次が代々木ゼミナール。
河合はまだ新興勢力。学校では福武書店(現:ベネッセ)と旺文社の模試だったが問題も簡単すぎるし受験生も玉石混交でイマイチだった。
猪熊先生に「駿台いいですよ」って進言申し上げたのだけど
「う~ん、あれはなあ」と却下されてしまいました。
2年生の時に兄が勝手に申し込んだ駿台(御茶ノ水)の春期講習で英語科の故・伊藤和夫大先生の凛としたオーラ漂う説得力満載の授業に
完全に打ちのめされました。
それと同時に同じ教室の大半を占めていた首都圏進学校の連中の理解力や知的水準の高さにさらなる衝撃を受けました。
「もしかして、この人たちはこの英文の言わんとしていること分かるのか!?」
「いや、ただ分かるという風情ではない」
「もしかして…書いてある内容を楽しんでるのか!?」
高校2年生の講習会に出ているのだから同い年だろうし、着ているものや喋り口調から推察してどう見ても一般人。
で、どうしてこんなに俺と差があるのか?
かくして負けず嫌いの性格にウラン燃料が注がれたのでした。
今でも覚えています。
午前3時47分…
急行「能登」が小諸駅を
出発する時刻です。
(まだEF62+14系客車でした)
小諸駅発:03:47 ⇒ 上野駅着:07:04
これに乗らないと駿台の模試(御茶ノ水校舎)に間に合わないのです。
この列車で5~6回はるばる東京まで模試を受けに行ったなあ。
我ながら当時は相当根性あったと思います。


(深夜の小諸駅・背後に昭和堂小諸ファッションデパートの灯が見える)
10代の時分にはその若者の運を試そうとするが如く、「神の見えざる手」が働いて一見そうとはわからぬようなチャンスが何回か巡ってくるものです。
当会が若者にとってそうしたチャンスの一つであるよう願っています。